彼女の事情


「っん… ぁ〜ぁ。」
大きなあくびが一つ。
もう日も真上を過ぎた頃の旅人の街。
帝國が王国と戦闘状態に入って、数ヶ月。この街の商店街も、にわかに活気づいてきていた。
武器屋や防具屋には、物々しい姿の戦士たちが入れ替わり立ち替わり訪れていたし、石畳の通りを挟んだ道具屋も、時間帯のせいか、客足が絶えないようだった。
往来を行き交うのは、それと見てまだ駆けだしとわかる槍を担いだ青年や、難しそうな本を抱えて歩く学者など、帝國、王国の所属を問わず様々であった。
戦乱のさなかにあって、切り結んでいる状態の両軍の兵士たちが流血沙汰もなく同じ街の中にいるのは、ここを治める議長の力に由来する。
大陸北部から帝國が侵攻を始めるや否や、彼はいち早くこの街を永世的に中立地帯とした。
一国に匹敵する程の情報網と、その政治的手腕は、かの帝國皇帝をして「慧眼」と言わしめるほどで、巷では彼こそがこの戦乱に終止符を打つ救世主なのではないかと、まことしやかに囁かれる声もあった。
だが誰ひとりとして、彼がいつ頃からからここにいて、どこからやって来たのか、その素性を知る者はいなかった。
ともかく、ここでもめ事を起こすと言う事は、彼を敵に回すという事と同義である。
彼を敵に回す。すなわち帝國からも王国からも抹殺される事を意味する。
無謀を勇気とはき違えた、愚かな無頼の輩に訪れる運命は決まっている。

大声で下品な話をしながら通り過ぎて行く、傭兵とおぼしき鎧姿の一団があった。
慎ましやかに日々を暮らしている市民の中には、彼らを見て露骨に眉をひそめる者もいる。
彼ら傭兵は、国に忠誠を誓った戦士と全く性格を異にする。一局いくらで敵にも味方にもなる、いわば金次第、自分こそが全ての連中である。
騎士道精神を持ち合わせない彼らの行動は、ごろつきと大して変わらなかった。
ただ、間違いのないように言っておくが、傭兵が全てならず者ではないし、彼らの生き方が間違っているわけではない。何の地位も持たない、権力もない者が、自らの命を元手に今日の糧を得る。そのためには倫理観や道徳など、毛ほどの役に立たないのは言うまでもないだろう。
彼らを支配するルールはシンプルで純粋、強者こそが勝者、である。
彼らは我が物顔で通りを練り歩き、しばしば声を荒げて酒場で言い争う。この街に定住している市民からすれば、彼らなどありがたくない事、この上ない存在であった。
だが、彼ら戦士の落とす金によって街が潤っているのは事実だし、そもそもそのお陰でこの旅人の街は成り立っているとも云えた。戦の側面には、常にこうした経済効果があり、そのサイクルの中で人々が生活の種を得ている事も、また真実なのである。
今のところ戦は小康状態ではあるが、戦局が長引くにつれ、両陣営とも正規の兵だけでは賄いきれなくなってきている。
近頃、街に傭兵崩れの戦士が増えたのも、その辺りに原因があるようだ。
確かに両国とも、確固たる信念を持つ兵は少なくなっているようにも見受けられる。特に帝國側にその傾向は顕著で、本来は小国であるはずの王国が、軍事国家である帝國の侵攻に耐えていられるのも、こうした志を持った兵の数の差によるものと考えられる。
いずれにせよ、人々が望むと望まないとにかかわらず、戦の歯車はもはや止まらなかったし、それぞれの思惑が交差する中、この戦いの行く先がどこにあるのか、歴史は混沌としていた。

賑わしい商店街の同じ並びにある紅い外観の一軒の店。その店は…いや、店なのかどうか定かではないが…というのは、その二階建ての建物には何の看板も出ていなかったからである。
商店街にあるあたり、どうやら何かしらの店ではある筈なのだが、この時間だというのに営業している様子もなく、そもそも店であるかどうかすらも疑わしい。まるで商店街に似つかわしくない佇まいである。
先ほどのあくびは、どうやらここの女主人の物であるらしい。
二階の天窓から差し込んでいた日差しがまぶたにあたり、不満げに小さくうめくと、仕方なさそうに彼女はベッドから身を起こした。
部屋は奥行きがあり、通りに面した窓は昨夜から開けっ放しにされている。部屋にある物でひときわ目を引くのは、壁一面を埋め尽くしているその蔵書の数々であった。タイトルからして錬金術の本であるらしいが、膨大な数である。
その他にはベッドやテーブルの間の床に、昨夜、彼女が脱ぎ散らかしたであろう服に混ざって、様々な品が散らかってはいたが、足の踏み場もない、という程でもなかった。
しばらく時間が止まったようにベッドの上であぐらを組んでいた彼女は、足元の脱ぎ捨てられて丸まったシャツを羽織ってから、ベッド脇のテーブルの煙草に火を付け、少し残った昨夜のアルコールとともに大きく紫煙をはき出した。
長めの髪は乱れてはいたが艶やかに黒く、差し込む日差しを受け、シャツから覗く白い肌とのコントラストに映えていた。
寝ぼけ眼なのを除けば、彼女はなかなかの均整のとれた顔つきだといえた。それなりの格好をして歩けば人目を引くであろう。が、当人はそのつもりは無いようで、そのままの姿勢でもう一度短いあくびをして、無造作に頭をかいた。
およそ女らしさなど欠片も感じさせない動作の後、ようやくまどろみの世界からこちらに戻ってきた彼女は、昨晩有った事を思い出そうとしていた。
(昨日何してたっけ?……………そうだ、買い物の帰りに久々にアスパに会ったんだっけ…)
(…マスターの所で一緒に晩ご飯して……最近宿に来るのが汗くさい野郎ばっかりで全然いい男が来ないって愚痴ってたっけ……って言ってもアスパの奴、昔ッから男受けよかったし、立ち回りうまいからなー……そんで宿が気になるからってアスパが帰って、それから誰かと話してたような………)
寝ぼけた頭でそこまで思い出したとき、不意に階下からノックの音と一緒に声が聞こえてきた。
「こんにちは〜。」
知った声ではない。瞬間彼女が思った事は、面倒くさい、だった。
(このまま居留守を決め込んでいれば、そのうち帰るでしょ……)
髪をかき上げながら、くわえ煙草で彼女は伸びをした。
(で、それからどうしてたんだっけ…アスパが帰って…)
「こんにちは〜。お留守ですか〜?」
さっきより少し強く扉のたたかれる音とともに、再び声が耳に入ってきた。若い男の声だ。
(あ、窓開けたままだった…。居留守してるのばれてるかな…ま、いいや…アスパが帰って、その後、誰かと話してたのよね。あれ、誰だっけ……)
何度か思い出しかけるのだが、その度にノックと声が邪魔をする。
(顔が思い出せないなぁ……)
「あぁっ、うっさいわねぇ。」
彼女は呟きながら2本目の煙草をもみ消した。
「どうも〜。こんにちは〜。いませんかぁ〜」
ノックの音はさらに大きくなってきた。少々間延びした声も、さらにイライラに拍車をかける。どうやらこの招かれざる客は彼女の思惑通りに帰ってくれそうにはないらしい。
寝起きで不機嫌な上に、間抜けな声で何度も思考を中断させられ、ついに我慢できなくなった彼女はそのままの格好で階下へ駆け下りて、勢いよくドアを開け放った。
「しつっこい!!何時だと思ってんのよ!だいたい営業時間は12時からだってしっかりここの看板に書いてあ…れ……?」
と、そこまで鼻息も荒く怒りのあまりまくし立てた彼女であったが、目の前にいるはずのノック男は彼女のドアによる会心の一撃をまともに受け、地面にひっくり返っていた。
「あ痛ちちちち……」
顔をさすりながら体を起こしたノック男に彼女は見覚えがあった。

「だけど、いきなり扉開けるなんてひどすぎません?」
ノック男は痛そうに鼻をさすりながら、恨めしそうに彼女を見ている。
「あっはっは。ごめんねぇ〜。まさか君だとは思わなかったのよ。ささっ、これでも飲んで機嫌なおして。」
そう言いながら、すっかり着替えた彼女はノック男…その青年に紅茶を差し出した。青年は腰に特徴ある剣を携えており、その剣が彼を聖戦士である事を物語っていた。聖戦士は剣技を身につけたばかりではなく、陽の力を引き出す修行を終えた者に与えられる称号である。騎士ではないため何かに忠誠を誓っている訳ではないが、そこいら辺が先ほどのごろつきまがいのどうでもいい傭兵たちとは違う。
「そもそもこの店の看板なんてどこにもなかったし…だいたい昨日酒場で、明日のお昼に来いって言ったのもルージュさんじゃないですか。」
一階のカウンター席に座った青年は紅茶をすすりながら、奥でパンケーキを焼いている彼女に向かってまだ不服そうに続ける。
「だから悪いと思ってお昼ごちそうしてんじゃないの。看板は昨日酔っぱらって帰って、店の中に蹴っ飛ばしちゃってたのよ。あんまししつこいと女の子に嫌われちゃうぞ、光君。あんたも男なら細かい事は気にしない、気にしない。」
と、少しも悪びれた様子もなく、光と呼んだその聖戦士の目の前に焼いたばかりのパンケーキの皿をルージュは置くのだった。
それ以上言葉を封じられた光は、見事に真っ二つになって部屋の片隅に転がる、昨晩までは看板だった物体をちらりと横目で眺め、黙って目の前に出されたそれをパクつくより他無かった。
(どう蹴っ飛ばしたら、ああいう割れ方をするんだか。…昨晩珍しい石を手に入れたけど使い方が分からないって話、マスターとしてたら、強引に「私が鑑定してやるから」って割り込んできたんだよなぁ…この人。商店街で鑑定屋始めたからって。けど俺とは初対面なのに…。なんで俺の周りって、こういう自分勝手な女が多いんだろう…でも約束通りきちんと来てる俺も俺だけど…はぁ。しかしこのパンケーキの形、不揃いだよなぁ…性格出てるっていうか…)
その通り、パンケーキは大小様々にいびつで不揃いで、大雑把なルージュの性格そのままといえた。それにしてもこの聖戦士の青年、どうやら元来苦労する質であるらしい。かたや商店街の喧噪なぞまるでお構いなく、つい先刻まで夢の世界の住人となっていた神経の持ち主である。性格の図太さで光が彼女に敵うはずもない。
しかし次いで出てきたルージュの言葉に、さらに光は完膚無きまでにノックアウトさせられるのであった。
「で、光君、何しに来たんだっけ?」
気を失いそうになるのを、何とか光がこらえる事が出来たのは、妹の晴日に鍛えられていたせいかもしれない。

お腹の具合もやや落ち着いたところで、若干疲れた顔をした光は、がさごそと袋をあさると、問題の石をカウンターの上に置いた。石はカウンターの上で、静かに蒼い不思議な光をたたえていた。
「ふぅん。これ、復活の石ね。」
さすがに鑑定屋を名乗るだけあって、ルージュは一目見ただけでその品物を言い当てた。実は彼女の鑑定眼にあまり期待していなかった光も、これにはいささか驚きを隠し得なかった。「またまたぁ、適当に言ってるんじゃないの?」と言いかけて、ルージュの顔を見たとき、その目が真剣な光を帯びている事に気づいた。
「ブルーサファイアとは違うとは思ったんですけど、何ですかそれ?復活の石?」
と、光は喉まで出かかったさっきの言葉を慌てて飲み込み、代わりに敬語で尋ねた。光にそうさせる迫力が、いまの彼女にはあった。
「ブルーサファイアなんかとは次元の違う代物ね。込められている魔力が全然違うもの。聞いた事無い?蘇生の効果を持つ石の話。」
目をぱちくりさせている光に向かってルージュは続けた。
「聞いた事無いみたいね…この石は復活の石って言ってね、持ち主の身に死の危険が訪れたとき、その命の身代わりにこの石が砕けて持ち主を助けてくれる、と言われているの。かつて神殺しの剣やブラッディソードを鍛えた錬金術師が創り出したって説もあるわ。製作者に関しては諸説あって定かでないけど、まぁ滅多にお目にかかれない、相当高レベルな錬金術の産物であることは間違いないわね。」
そんな貴重なものだったとは露にも思ってもみなかった上に、伝説的な剣の名前が2つも出てきて、いまいち飲み込めていなかった光だったが、復活の石をつまみ上げてようやく言葉を発した。
「えーと。つまり、なんですか?じゃぁ、これ持ってたら死なないってこと?」
「うん、まぁー、ぶっちゃけて言うとそういう事ね。ただし効果は一度だけ、持ち主の命の代わりに砕け散ってしまうから。それから……」
次の句をルージュが告げる前に、世にも情けない声で光が叫んだ。
「い、い、いいィ。」
店の入り口近くまであっという間に移動した光は、きょとんとしているルージュの足元を指さして、
「ィい、い…いぬゥ。」
見るとルージュの足元には黒いダックスフンドが、先ほどのご主人よろしく大あくびをしているところであった。
「ああ、ギネス。起きてきたの?光君、紹介するね。この子、うちのギネス。」
ギネスを抱き上げてルージュが入り口に視線を移すと、そこにはもう光の姿は無かった。
光はどうやら犬が苦手らしい。子供の頃にでも犬に飛びかかられでもしたのだろうか。
へぇ、聖戦士君もかわいい所あるじゃん、とルージュは苦笑した。
「嫌われちゃったねぇ、ギネス。」
「…別に男になんぞ好かれようとは思わへんな。てゆーか、腹減った。俺にも飯。」
おもむろに腹が減ったと口を利いた犬に向かってルージュは
「さっきまで寝てたくせに、何偉そうな事言ってんのよ。」
と事も無げに返した。
「だいたいあんた何様のつもりよ。あたしが養ってやってんのよ?あんたがあたしにご飯くらい作ったっていいんじゃないの。」
ルージュの腕を飛び出して、カウンターの上に降り立ったギネスは、
「俺のこのナリで作れるわけあらへんやろ。」
と肉球がついたその前足をヒラヒラさせながら言った。
「都合のいいときだけ犬に戻る…んじゃぁ、あんたも犬のはしくれだったら大判小判の詰まった壺の埋まってる場所でも教えなさいよ!ここ掘れワンワンって知らないの?」
「アホか。あんなん、ホンマの犬がする事や!俺がそんな真似出来るか!」
「だ・れ・が、アホゥだって?ん?」
怒りの色を帯びてきたルージュの声とその手に持っているフライパンに、身の危険を感じたギネスは、パンケーキをくわえるが早いか、一目散に店の表へと飛び出した。
「ったく。もぅ。」
喧嘩は日常茶飯事とはいえ、外に駆けていったギネスの後ろ姿を見送ったルージュは、少し寂しそうに呟き、それからふと、光の事を思い出した。
(そういや、光君、あの石の注意事項聞いていかなかったけど、大丈夫かな……。まぁ〜いっか。大丈夫でしょ。彼くらいの腕前だったら、そんな滅多に使われる機会も無いだろうし。また今度来たとき教えてあげれば。)
もとが大雑把な彼女である。一瞬の後には、もうすでに光と石の事など明後日の彼方にとんでいってしまっていた。



※注釈※
アスパ:アスパ=ラサラーダ。宿屋の女主人。


【おわりのつてごと】
あきらさんにそそのかされ、ついに文壇デビュー(晒し者ともいう)です。
思いつきのままに書きつづりました。様々な食い違いは、どうか暖かい目で見逃して頂きますよう。
さて、一体、冒険者達は初めて目にする道具や武器をどうして判断しているのでしょう?
特に得体の知れない道具には、どんな恐ろしい効果が込められているかもわかりません。
その品物がいかなる物か、鑑定する職業があっても良いのではないでしょうか。そんな発想の元に、主人公はそれを営んでいます。
彼女はとある目的のために錬金術を学び、今は鑑定屋を営む傍らあるモノを探しています。
本編は「森と月のみた夢」の第二話よりも数日間さかのぼります。
文中の人物描写は、私が一方的に憧れる南戸まあさんの作品、その「半裸」の女性がモデルです。(但し南戸さんご本人に了解無し。笑)
最後までおつき合い下さいましてありがとうございました。ご感想など頂けたらうれしいかも。


【管理人より】
ルージュさんどうもです(≧∇≦)/ 私より上手いじゃないですか〜(笑)
改行しなくてもいいのかな・・・(謎) まぁ、私は私のやり方(改行多し)でしばらくやりますか。不評だったら修正(爆)
これだけとか言わないでどんどん晒しちゃってください(笑)
この話を見たあとで第2話を読むと若干食い違いがあるかもしれませんが気にしない方向で・・・(爆)


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