7.素顔に隠れた顔


旅人の街北東に位置する、脈動の密林。
植物の密生した灼熱の砂漠で、移動の困難さと迷いやすさから冒険が困難な地と言われている。
 「迷った・・・」
その密林で1人、道に迷っている者がいた。晴日だ。
何の目印もないこの密林は、ただでも方向音痴の晴日には不向きとしか言い様がない場所である。
既に日は暮れており、明かりがなければ足元もよく見えない状況だった。
晴日の顔のすぐ横には炎を中に抱いた拳程度の大きさの珠が漂っている。
これは「契約」によって得た物で、念じれば好きな時にその炎の珠が現れ辺りを照らしてくれるのだ。
夜の冒険や洞窟の奥深くで日の光の届かない場所の探索には重宝する。
珠に包まれているため炎の熱は感じず、何かにぶつかっても燃え移るようなこともない。
しかし、この明かりをもってしても、頭上を覆う植物によって月の光が遮られたこの密林では、3m先がようやく見える程度である。
この状況ならば下手に進むよりも夜明けを待った方がいいかもしれない、と晴日は手頃な木の根元に腰を下ろした。
長いローブでも着ていたら、足元の悪いこの密林ではあちこちに引っ掛けて裾を破いたりしかねないが、
行動が多少荒っぽい晴日はローブ状の長衣は着ようとはしない。
同じ衣でも、身体にぴったりとした動きやすいものを纏っていることがこの場合はよかったのだろう。
それでも、足首を覆っている裾は泥でかなり汚れてしまっている。
膝の上には、以前Maliceから譲られた、魔力を篭めた本が乗っている。
本の魔力をある程度使いこなせるようになった晴日は、ここしばらくの間はこの本を武器として冒険に出ていた。
基礎体力も腕力も不足している晴日は、武術よりも魔法の方が得意なのである。
堕天使になったことで、魔力に関して敏感になり、以前よりも扱いやすくなっているようにも感じる。
そういう意味で、本の魔力を武器にするというのは晴日に向いているのかもしれない。
 「・・・」
人が通りかかる気配もなく、邪魔にならないよう束ねた髪を直したりしながらぼんやりと辺りを見ていると何だか眠くなってきた。
歩き回って疲れたせいだろうが、今ここで眠ってしまったら危険である事はわかっているので何とか眠気を覚まそうと頭を振る。
ふぅ、と息をついて再び前を見ると、明かりが照らしているより外側で何かの影が動いた気がした。
 「・・・!」
確かに何かいる。姿はまだはっきりとは見えないが、何か大きな獣のようである。
これも堕天使であるせいだろうか、晴日は夜目が効く。夜の戦いは常人よりも得意である。
晴日は立ち上がり、いつでも手の中の本の魔力を放てるように精神を集中させながら身構えた。
それに呼応するかのように、普段は目には見えない本の魔力がオーラのように現れ本全体を包み込む。
影が動き、明かりが影の正体をうっすらと照らし出す。
それは密林に住む巨大狼、フェンリルだった。
獣は炎を恐れるというが、このフェンリルは晴日の明かりの炎を恐れることもなく低い唸り声をあげながら晴日に近づいてくる。
フェンリルが晴日に飛び掛ろうとしたまさにその瞬間、
本を包んでいた魔力が集まり、1つの塊となってフェンリルを直撃した。魔力の塊はフェンリルの厚い毛皮を裂き、肉をも引き裂いた。
傷口から血を流しながら、フェンリルはなおも晴日を狙っている。
手負いだからといって油断してはならない。晴日もまた構えを崩さずにフェンリルと対峙した。
その時、晴日の背後で何かの気配がした。
 (・・・?他にも何かいる?)
まずい。そう感じた晴日は早急に目の前のフェンリルを倒そうと再び本の魔力をフェンリルに向けて放った。
だが、勝負を急いだその一撃は手負いのフェンリルに易々とかわされる。
逆に今度はフェンリルが牙を剥き出しにして晴日に襲い掛かってきた。
 「ひゃあ」
身を翻してフェンリルの攻撃を避け、フェンリルから目を離さないように気をつけながら慌てて間合を取り直す。
晴日自身が動いたことで、背後から感じていた気配をフェンリルと同じ正面に感じることが出来た。
その気配の主の姿が、明かりに浮かび上がる。
紫色の身体を持つ大蛇・・・ヨルムンガンド。
密林の中に現れるモンスターの中でも最強といわれている。
この2匹のモンスターは人間の肉を好むのだろうか、互いに互いには目もくれずに晴日を狙っている。
 (・・・2匹揃ってはないでしょ・・・)
舌打ちをしながら、晴日は2匹それぞれの様子を窺う。
先にどちらを攻撃すべきか悩んでいる間に、先にフェンリルが動いた。
反応が若干遅れた晴日は、自分の懐近くに飛び込んできたフェンリルに向かって手にした本の背表紙を思い切り叩きつける。
間違った使い方ではあるが、偶然にも本が目の近くに当たり、フェンリルは甲高い鳴き声をあげて飛び退いた。
だが、次の瞬間晴日の目に入ったのは、すぐ側まで迫ったヨルムンガンドの顎だった。
 「わぁっ」
とっさに本を盾代わりに顔の前に差し出して、目を閉じる。
しかし、悲鳴をあげたのは晴日ではなくヨルムンガンドだった。
 「?」
絶叫に驚いて目を開けると、ヨルムンガンドは長い身体をのけぞらせて何やら苦しんでいる。
程なくして、ヨルムンガンドの巨体はどうっと地面に倒れこんだ。
何が起きたのかわからずに晴日は混乱しながらそのヨルムンガンドの死骸を見つめる。
視界の隅に明かりが見えた気がしてそちらを見ると、やはり晴日と同じ炎の珠を明かりとしている男の姿があった。
やや細身だが、背丈は普通より少し高いだろうか。闇に紛れるような黒い服を着込み、短い黒髪をバンダナで押さえている。
 「危ない!前!」
晴日が声をかけるより早く、その男が叫んだ。
 「え・・・うわっ」
手負いのフェンリルに飛び掛られて、晴日はその場にひっくり返る。
土の精霊の力を持つ腕輪を見につけているせいだろう、薄手の衣しか身につけていない晴日だが、
土の気を持つフェンリルの爪や牙での攻撃は浅い傷で済んでいる。
が、フェンリルの巨体に押さえつけられていては、晴日は身動きが取れない。
その時。
男の投げた4本のダーツがフェンリルに突き刺さった。
フェンリルは叫び声を上げながらよろめき、晴日から離れた。
解放された晴日は慌ててダーツを投げた男の側に駆け寄る。
 「ふぁんさん、危ない所をありがとうございます」
そして、よく見知ったその男に丁寧に頭を下げた。
彼は帝国軍に所属している暗殺者、ふぁんである。
暗殺者といえば盗賊のように隠密行動に優れ、不意をついて狙った者の命を奪うイメージが強い。
確かにふぁんも隠密行動に長けている。
だが、ふぁんはたとえ不意をつかずに正面から戦いを挑んだとしても相手を葬ることができるだけの実力を持っているのである。
そう、タイプは違えど、帝国軍屈指の傭兵Maliceと肩を並べられる位の。
暗殺者の中には素顔が割れるのを避けるために暗殺者として動く時には顔を隠す者もいるが、
ふぁんは特に素顔も身分も隠そうとはしていなかった。
それは一片の自信の現れだったのかもしれない。
 「いえいえ・・・それより、怪我は平気ですか?」
晴日の身を案じながら、ふぁんは先程のフェンリルの様子をちらりと窺う。
フェンリルは地面に倒れてひくひくと身体を痙攣させていた。ダーツの針に毒でも塗ってあったのだろう。
あれならば放っておいても間もなく死ぬだろうと判断し、ひそかに握っていたダーツを服の中に戻した。
 「怪我は大したことないです」
へらへらと笑っている晴日に、ふぁんは溜息をつく。
 「たまたま俺が通りかかったからよかったけど、どう見ても危なかったでしょう。気をつけないと」
 「あはは、そうですね」
あれだけの危機的状況の後にも関わらず、晴日にはあまり反省の色は見られないようにも思えた。
しかし、動きがいつもよりもぎこちない。実のところ、動悸もまだ収まっていない。
顔は笑っているがやはり怖かったのだろう、とふぁんも悟る。
 「とにかく、今夜は帰った方がいいんじゃ?」
まだ恐怖からの緊張が解けきっていない晴日にふぁんが優しい口調で提案する。その様子はとても『暗殺者』には見えない。
 「そうしたいのはやまやまなんですが・・・実は道に迷ってて」
事情を話しながら、晴日は困ったような表情をふぁんに向けた。
 「なるほど・・・じゃあ、出口まで俺が送りますよ。別に何か用があるわけでもないし」
そういうなり、ふぁんは先に歩き始める。
 「本当ですか?重ね重ねありがとうございます」
小走りでふぁんに追いつき、その顔を覗き込みながら晴日が再び礼を言った。
 「でも、すごいですね。ダーツにあれだけ攻撃力あるなんて思いませんでした」
目を閉じていたり、視界に入っていなかったためしっかりと見ていたわけではないが、
ふぁんが1撃ずつでヨルムンガンドとフェンリルを葬っていた事はわかっていた。
フェンリルの首に細くやや長めのダーツが数本突き刺さっていたのを、晴日も見ている。
 「まあ・・・それを商売道具にしてるくらいだからね」
ふぁんは複雑な気持ちで、薄く笑う。
ふぁんの言う「商売道具」とは、いわば「暗殺武器」だ。ふぁんが好んで使う武器は猛毒のダーツである。
接近戦になった場合に備えダガーも持っているが、基本的にはダーツで相手の命を奪うための戦法を取っていた。
もちろん、ダーツは相手を死に至らしめることができるように改良されている。
暗殺者にとっては至極当然の事なのだが、こうして暗殺者でない者に改めて指摘されると不思議な気分になる。
 「それにしても暗殺者って・・・カッコいいですねー」
晴日の口から・・・不吉な言葉が漏れた。

翌日。
 「こんにちはー」
昼を過ぎた頃、光と晴日の家を訪れる者があった。
 「はい」
返事をしながら、奥から私服の光が出てくる。
店舗となる部屋のカウンター越しに客の姿を認め、光はわずかに驚いた素振りを見せた。
 「ふぁんさん・・・珍しいですね、どうしたんですか?」
客はふぁんだった。
やはり黒系の服装だが、昨夜着ていた服より薄手な物であることを見ると、私服なのかもしれない。
 「晴日さんいますか?」
 「いえ、晴日ならまだ寝てます」
ふぁんの問いに溜息混じりに光が答え、上を指差した。上とは、つまりは2階の私室の事である。
 「ああ、昨夜遅かったからね・・・。それなら、これ渡しておいてもらえるかな」
事情を知っているふぁんは晴日が昼まで寝てる事には特に驚かずに、持っていた物をカウンターに乗せた。
それは、鞘に収まった1本の短剣だった。
 「・・・これって・・・もしかしてアサシンダガー?何でこれを?」
短剣を手にとって見つめながら、光が不思議そうに尋ねる。
アサシンダガー。その名の通り、暗殺者が使う短剣である。盗賊などが使う短剣に比べれば刃が鋭く、殺傷力がある。
その上にその刃には毒が塗られていて、確実に相手を仕留められるように作られていた。
 「晴日さん、暗殺者の武器が欲しいって言ってたんで」
 「・・・はぁ?あいつまたそんなこと言ってたんですか?」
心底呆れたような表情で、光がふぁんに聞き返した。
ついこの間Maliceから学者の使う本を買ったばかりなのに、今度は暗殺者である。
夜の行動が得意という点は暗殺者の特徴を押さえているのだが、そういう問題ではない。
 「暗殺者の武器は特殊な物が多いから、ダガーが一番無難だろうと思って。ブロウガンとかギャロットはそれ相応の戦術を
 身につけないといけないですしね」
どうやら、ふぁんは晴日でも扱えそうな武器を考慮してくれていたらしい。
ブロウガンはいわゆる吹き矢であり、隠し持ち遠くから敵を狙う最も一般的な暗殺武器である。
一方ギャロットは絞殺紐で、背後から相手の首に絡め絞殺する物である。
どちらも、それを主武器にするにはそのための戦い方を身につける必要がある。
それを身につけるよりは、アサシンダガーの方が晴日には馴染みやすいだろうとふぁんは考えたのだ。
 「しっかし、何考えてんだか・・・」
 「まあまあ。晴日さんだって、本気で暗殺者になろうってつもりじゃないだろうし・・・」
呆れ返っている光に、ふぁんが含みをこめた苦笑を漏らした。
暗に「そう簡単になれるものではない」と言っているようでもあったが、
いつもと何処か違うその表情に、光は何かを見た気がして僅かに訝しげな顔をする。
表に見せている顔の裏にある『何か』が見えかけたような、そんな錯覚を覚えたのだ。
 「本当は弟子にしてくれって言われたけど、俺は弟子とか取るつもりないしね」
しかし見えかけたのはほんの一瞬で、次の瞬間にはそれは笑顔と冗談めいた口調の中に消えていた。
 「じゃあ、俺はそろそろ帰りますね」
要件を済ませたふぁんは、軽く片手を上げてみせてから踵を返す。
 「あ、はい。じゃ、これ晴日に渡しておきます」
垣間見た物に気を取られてた光はその言葉にはっとして、ドアに向かうふぁんの後ろ姿に慌てて声をかけた。
 「よろしく」
ドアを開けながら振り返ったふぁんは、わずかに微笑んでそれだけ告げ、出て行った。
1人部屋に残された光は、視線を落としカウンターの上に乗せられたままのダガーを見ながら先程の事を思い出す。
あの時ふと見せかけたのは、暗殺者としての顔だったのかもしれない。
普段接してる時の穏やかな彼とは違う一面。晴日のような真似事ではない、本当の暗殺者。
誰かに刃を向けることが役目である彼はきっと戦場でも躊躇うことなく人と戦う事ができるのだろう。
それが、軍人にまず求められる資質なのだろうか。
 「わかってるんだけどな・・・」
誰に宛てるともない呟きが光の口から漏れる。
何処となく暗い表情で何もない空を見つめたまま、光はその場にしばらく佇んでいた。


                                  <続く>


【後書きのようなもの】
ゲスト物2連続です。今回のゲストは暗殺者・ふぁん♪さんです。小説では♪は略(爆)
実際、晴日の暗殺者武器はふぁんさんから頂いた物なのですよ。
もっとも、貰ったのは本当はギャロットですが・・・(笑)
ギャロットが絞殺紐だとは知らなかったです。スライムとか殺せないですね(ぇ
この小説のために暗殺者武器についてネットで調べました・・・ってそれはさておき。
ふぁんさんは冒険者と暗殺者の二面性を持つという役になってしまいました。なりゆきで(爆)
光とのやりとりは書いてるうちにノリで増えちゃった部分だったり(マテ)
何かMaliceさんに続きまた本人のキャラと大分変わってきちゃった気がします。
ふぁんさんはあんな二面性あるっぽくはないですよ〜。優しいいい人ですよ〜。
ふぁんさんすいません(汗)
それにしても今回の文章長いような・・・。
モンスターバトルを真面目に書いたのが初めてで楽しかったのですよ。ええ。
何かもう後書きに書こうと思ってたこと忘れました。のでこれで終わります。(ぉぃ
以上、作:山繭(御雷あきら) 監修(?):蒼さん 友情出演(??):ふぁんさん でお送りしました♪


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