雑記という名の独り言



新しいものが上です。

11月4日 ある日の日記〜アンパンマンの歌〜 
あちこちのサイトで触れられている話題ですが、あえて私も触れます。

ある日、いつも通りボケーっと教室に戻ってくると、友達が3人ほど集まって何か話していました。
何気なしに加わってみると、何か、何処かのサイトを印刷したらしい紙を見ています。
そして、1人が熱心にこう主張していました。
「アンパンマンの歌ってすごいんだよー!」
紙をよく見れば、アンパンマンマーチ(アンパンマンのオープニングテーマ)の歌詞が書かれていました。
歌詞を読んでみると、確かにすごいです。重くて深いです。
聞いたことのない人はほとんどいないと思いますが、
歌詞を覚えていない人は多いかもしれませんね。

  「そうだ、おそれないで みんなのために
   愛と勇気だけが ともだちさ」

この部分は覚えている人が多いのではないでしょうか。
いろいろ、突っ込みたくなる歌詞ですけどね(笑)
テレビで流れてるあの歌詞は、実際は2番の歌詞なんですよね。
私たちが話題にしてたのは1番の歌詞です。
1番の歌詞は、こういうものです。

 「なんのために生まれて なにをして生きるのか
  こたえられないなんて そんなのはいやだ!

  今を生きることで 熱いこころ燃える
  だから君はいくんだ ほほえんで

  そうだ、うれしいんだ 生きるよろこび
  たとえ胸の傷がいたんでも」

単純だと思われるかもしれないですが、正直、堪えました。
まだ、いろいろ悩みを引きずっている時期だったものですから。
友達たちと「1番がこんなすごい歌詞だから、テレビでは2番が流れてるのかな」なんて軽く話しながら、
歌詞を何度も思い返してましたね。
今でも、この歌詞についてはっきりとした感想や意見を言えはしないんですが。
だから雑記に書いても仕方がないのかもしれませんが。
どうしても書きたくて書いてしまいました。
個人個人の取り方もあるでしょうし・・・
皆さんはどう感じるんでしょうか。
もし考えがまとまったら、また雑記に書きたいものです。
いつになるかはわかりませんが・・・
生きるということについて、もう少し、考えます。



10月5日 現実の在処 
私たちの目の前に広がる世界。
これは脳の知覚によって構成されています。
目に映るこの光景も、肌に感じるこの感触も、全ては脳が感じたこと。
脳が感じる刺激に左右されているとなると、
あるいは自分達が感じている「世界」は存在しないのかもしれません。
何らかの形で脳に刺激を与えられて、見せられているだけの、「幻」。
周りの景色、触れ合う人々、そして自分自身の肉体ですら。
あると感じているだけで、実際はないのかもしれません。
そんな風に考えることもできるんです。
そうなると、この「現実世界」自体が夢のようなものということになります。
でも、目の前の「現実」しか見られない、感じられない以上、
私達に「真実」を知ることは難しいです。
自分から「真実」に近づくことは、できないかもしれません。
ある時ふっと、自分の意志と関係なく、「真実の世界」に戻されたら。
これまでの「現実」が幻だったら。
私達は、・・・私は、どうなるでしょうか。

こういうことを考えることは現実逃避でしょうか。
そうだと言われても全く反論はできないです。
少なくとも今はここが現実だから、
現実で頑張らなければ、ですね。


9月11日 詩にもならない独り言  
時の流れの中で
消されていく、記憶
忘れられていく、存在

ふとした時に感じる寂しさはいつものこと
暗闇の中で一点の光を見出せ

せめて「空元気」でいられるように
せめてかけらの前向きさでも抱けるように

現実とは違うモニター越しの仮想現実に向かい合いながら
足掻いて、もがいて・・・
何かを、思い続ける

一体何が不安なのか
一体何が欲しいのか


8月21日 悩み・壁・逃げ  
大分時間を空けてしまいましたね(汗)
今回は、下の雑記に書いた、日記をやめたもう1つの理由に関しての雑記です。
4月あたりからしばらくずっと、悩み事にぶつかっていたんです。
きっかけは、ふっと、自分の「居場所」を見失ったこと。
何だか、集団の中にいるのに、寂しいと感じるんです。
ここに自分の居場所はないんじゃないかと思ってしまって。
春休み最後の日の夜、学校が始まることの憂鬱さとも合わさったのでしょうか、
ネット上で友達に愚痴って泣きついていました。
それが始まりでした。
一度落ちた気分は、朝にはある程度戻っても、夜には再び落ちて。
しばらくの間、夜にネット上で人に悩みや愚痴を聞いてもらう日々が続きました。
マイナス思考になると、それまでそれほど悩みとして感じてなかったものも思い悩む対象になって。
悩みは確実に増えていました。家のこと、学校のこと、自分のこと。
悩み事のせいにしてはいけないんでしょうが、試験の時期にも勉強が手につかず、
成績を落としたこともまた、進路のことなどの悩みに拍車をかけていました。
でもプライドなんでしょうか、悩んで落ち込んでる時も、
周りの実際に顔を合わせる人にはそれを見せたくなくてなるべく明るくふるまおうとして。
それも辛くなった頃、授業が終わるとすぐに学校を離れたりしてなるべく1人でいるようになっていました。
(この頃です、作品集にある詩の「衝動」と「殻」を考えたのは・・・)
現実であまり人と接したくなくなっていたので、夏休みに入ったのは、ありがたいことでした。
ある1つの悩みが、形を変えながら何より影響を与えてたのですが、
夏休みの間に、やっと自分の中で処理できました。
具体的にどんなものなのかはどうしても書きたくないので悟っていただけると・・・(苦笑)
今は、やっと夜に鬱状態にならなくなってきたところです。

これほど悩んだり悲観的・マイナス思考になったり泣いたりしたのは初めてだと思います。
これまでは、あまり物事悩まなかったんです。
今思い悩む対象になってることさえ、「ま、いいや」で片付けてました。
それは、強さだったのか、それともただの逃げだったのか・・・
今、こうやって悩みにぶつかって、考えて苦しんで、傷ついて、人にすがって。
まだ、乗り越えたわけではないのですが・・・。
乗り越えられたら、強くなれるでしょうか。


8月9日 私と日記  
久々の雑記です。
前の雑記で日記まがいのものを書きましたが・・・
ちょっと前まで、日記をつけてました。
ちょうど2年前くらいから、今年の5月中旬くらいまで。
書くのをやめるくらいになるまでは本当に、毎日欠かさずに。
完全に趣味に走った内容で、そのころの思考の内容がよくうかがえるものでした(笑)
文面としては、こんな風に誰かに見せるトークのような口調で。
もちろん、日記だからもっと砕けたしゃべり方でしたが・・・
ただ、字が書いてあるだけ、別に途中に絵があるわけでも何でもないのに、
ノートが5冊終わるくらい書きました。
それだけ、書くことがあったんです。
日記を書き始めたきっかけが、
「今しゃべりたいことを聞いてくれる人が周りにいなかったから」
だったので。
語りたいことがあるのに語る相手がいなかったから、
日記として書き留めて、それであるいは、自分と語っていたのかもしれません。
別に、当事身近に友達がいなかったわけではないのですが、
さっきも書いた通り趣味に走りすぎたことばかりなので、話に付き合える人がいなかったんです。
元々字を書くのは好きなので、日記を書くのは結構楽しかったですね。
ただ、大学に入ってからは忙しくて、日記を書く時間が減りました。
それでも1年間は続けていたのですが、
今年の5月13日の書きかけの日記で、日記は終わっています。
その頃には、日記に前ほどの魅力を感じなくなっていました。
それはきっと、春休みあたりからネットでの友達ができ始めたせいでしょう。
「話を聞いてくれる人」ができたから。
「日記を書く」必要はなくなりました。

それ以外にも日記を書かなくなった理由はあるのですが、
それはまた別の雑記で。


7月31日 ただの日記のようなもの 
今日で7月も終わり。
28・29日と、家から出ない私にしては珍しく出歩きました。
でも28日など、1時間半花火を見るため突っ立って、
その後1時間半くらい外を歩いたくらいで完全にへばってました。
29日も友達と2人で買い物に行ったのはいいけれど私1人バテている・・・
家に閉じこもっているせいか、完全に体力がなくなってます。
8月には3日間、ひたすら歩く、並ぶという「夏の祭典」に行くというのに。
私の体力で持つのでしょうか。いつになく不安です。
いい加減家に引きこもってるのをやめて外に出なさい。
歩き回るだけでもいい運動だよ・・・

そして、学校の課題にも全く手をつけていないのが・・・
もう夏休みは1ヶ月をきっています。
やらなければという焦りはあるのに、今日も日中はほとんど寝ていました。
矛盾矛盾。やる気があればやれるはず。
ただ単にやる気がないだけですね。はい。
ネットしながらでも出来るでしょう。今こうしている間にやればいいじゃない、自分。
何で手元で落書きなんてしてるの。
「夏の祭典」に行く前に、家の中でできる2つの課題ぐらい片付けなさい。
落書きするなら作品集に載せられるような絵を描きなさい・・・(苦笑)

怠惰人間の日記ですね、これ。
これ以上怠惰にならないように今から課題やります・・・


7月30日 小学校の思い出その2 
小学校時代はよくいろいろな種類の「鬼ごっこ」をやりました。
「いろおに」とか、「こおりおに」とか、
「どろけい」(「けいどろ」とも言うようですがうちではこう呼んでました)もそうですかね。
その中の1つ、「たかおに」。
高おに・・・というだけあり、高いところにいれば鬼につかまらない、というものです。
それだけの単純なルールでも十分なものなんですが。
小学校時代は、校庭や屋上という決まった場所でやることが多かったので逃げる場所が決まっています。
そのせいか、私達はその逃げ場所1つ1つにルールをつけてました。
まず、「10秒」などの時間制限ルール。
その場に決まった秒数以上いると安全地帯として無効となり捕まる、というものです。
これなどは単純だと思います。
次に、「手伸ばし」。少し広い場所などに適用されます。
鬼は高いところには乗れませんのでその下から手を伸ばし、
鬼にタッチされたらその人は捕まったことになります。
これの応用編?なのが、もっと奥行きの広い場所で適用される、「靴投げ」。
鬼が片方の靴を投げ、それに当たったら捕まったことになるというものですが・・・
これって、もし鬼が投げた靴が誰も当たらずに落ちて、そのまま誰も返さなかったら・・・
自分で拾いにいけない鬼の人はどうなるんでしょうか?(汗)
ほとんどの場合誰かが返してくれたのですが・・・
子供の遊びは正々堂々です(?)
最後に・・・これが一番問題あるルールだと思います。
「空中」というルールです。
大抵、足場の細いところに適応されます。屋上ではフェンスの根元の支えの部分?とかでした。
これは、靴がその足場からはみ出す、あるいはかかとなどが足場から浮いてしまうという状況になると
無効になり捕まるというルールです。
このルールのあるところに誰かが入ると大変です。鬼がすぐ横で見張ります。
フェンスの土台に登ってる本人は足元などほとんど確認できません。
ここでこういう事が起こるのです。鬼がいきなりその人にタッチ。
鬼「今浮いたよ」
鬼の主観的判断です(笑)
ほとんどの場合、登っていた本人は浮いた自覚などありません。(そもそも浮いてないような)
逃(鬼でない人)「浮いてないよ」
鬼「浮いたもん」
逃「浮いてない」
・・・どちらが折れるかですね(笑)
こんな曖昧なルールがあったのです。押しの強い人が勝ちなのかもしれません。
鬼になりっぱなしって結構辛いですよね・・・
私、鬼をやってる時の記憶ばっかりあるような気がするんですが・・・
トロかっただけでしょうかね・・・今もトロいですが・・・(苦笑)


7月26日 小学校の思い出  
小学校の時は全く不思議に思わなかったのですが、
今考えると何となくよくわからないもの・・・
私の通っていた小学校は、幼稚園が同じ建物内にあって、校庭などは共有できる環境でした。
(幼稚園には別に遊び場があって園児はほとんどそっちにいましたが)
校庭と幼稚園の間には花壇があり、花壇の下には1ブロック分の出っ張りがありました。
本題はここからなのですが・・・出っ張りを利用したこういう遊びがありました。
やってたのは主に男子なのですが・・・
人数は数人〜10人程度?必要なものはボール1つ。
まず、その出っ張りの前にみんなで適当に立つ。
ボールを持った1人が前に出て、出っ張りの角めがけてボールを投げてみんなの中に戻る。
跳ね返ったボールを、後ろにいた残りの人たちの誰かが取る。
その人はまた前に出てボールをぶつける。そのボールを残りの誰かが・・・
これの繰り返しです。
その名も「角ぶつけ」。
実は私も加えてもらったこともあるのですが・・・本当にそれを繰り返すだけでした。
あれ・・・面白いんですか?(笑)
そもそも、その遊びは他では聞いたことがありません。
私達の学年だけ、ということはなかったと思いますが、今もやっているのかは知りません。
どなたかこの「角ぶつけ」、やっていた、あるいは知っているということがあれば、
私にその魅力は何なのか教えてください(笑)
メジャーな遊びだったらどうしよう・・・それよりうちの小学校だけだったらどうしよう(笑)


7月24日 人体と進化
今、人体について学んでいます。
人体はとても複雑です。
覚えきれないくらいに・・・。いえ、覚えなくてはいけないんですが・・・
筋肉、血管、神経・・・それらが複雑に、でも的確に連携しあっていて。
上手く出来てる、と思います。
でも、ずっとずっと昔の祖先、地球上の最初の生物は、
たった一つの細胞から出来てる単細胞生物だったんですよね・・・
地球が出来て、生物が生まれて、それから今までに、何度も何度も進化を繰り返して、
たくさんの、いろいろな種類の細胞から出来た今の人類があるんです。
私の想像などはるかに越えています。
突然変異、適応、それの繰り返しでここまでになったのでしょうが。
(進化論が突然変異説であってるのなら・・・)
ここまでになる必要があったのか・・・むしろ、ここまでにならないと適応できなかったのか。
誰かが、「進化の歴史は敗北者の歴史」と言ってたのを聞いたような気がします。
予備校の生物の先生だったかな・・・
うなずけるかもしれません。
競争に勝つためには、よりその場に適応した進化した体が必要だった。
というよりは、その場での競争に敗れ、移った新たな場所に適応するための進化、でしょうか。
人間は適応するために、複雑な体と、知能が必要だったのでしょう・・・

一般的な考えや、正しいとされる考えとはずれてるかもしれません。
あくまでも、私の考え方です。
すべてにおいて未熟な者の考えですので、軽く流してください。(一部、嘘言ってるかもしれません)


7月19日 挨拶について    
帰りの挨拶にもいろいろありますね。
「じゃあね」とか「バイバイ」とか、学生だとそういうのが多いでしょうか。
私も学生ですが・・・
午後は実習で終わることが多いせいか、私のクラスの帰りの挨拶は大抵、
「お疲れ様」「お疲れ」
なんですよ。
1年の頃からいつの間にかみんな言うようになってましたが、自然に使われるようになったんですかね。
確かに、一番いい挨拶かもしれません。みんな実習後疲れてますから・・・(苦笑)
放課後は本当に、「お疲れ〜」という言葉が飛び交ってます。
他の学校もそうなんですかね?
少なくとも、高校以前や予備校では全く使わなかった挨拶なので、
ふとした瞬間に「あれ?」と思うんですよ。
学生が使う挨拶じゃないとまでは思わないですが、あまり聞かないかな、と。
私が聞かなかっただけで、実際のところはどうなのかわかりません。
学生の方、元学生の方、そちらではどうだったか、教えていただきたいです。
もし私とどこかでお会いしたときなど、帰りに爽やかに
「お疲れ♪」
といってくださっても結構です(笑)


7月14日  海・水・青について   
一番最初の独り言ということで、このサイト「海・水・青」について。
ただ単に好きなものをまとめたサイト名なんですけどね(笑)
もっとも、本州から1回しか出たことがない私は、
海といったら東京湾とか、太平洋(千葉のあたり)とか、
せいぜい瀬戸内海しか見たことがないんですが・・・(笑)
私は水のある風景が好きなんです。
海だけじゃなく、川、池、湖、全部。
その中で海が一番好きなので、海の雰囲気を主にサイトに出そうと思って。
それで、海、と水、そしてそれに一番近くて好きな色、青、という字を入れたんです。
ただ、夏の海は人が多くてイヤですね。
ひと気のない海がいいんです。
人のほとんどいない海で、寄せては返す波をただじっと見つめてるのが好きなんです。
私の中では、海は泳ぐものではないんですよ・・・(笑)
こうして、今年の夏も海にも行かずに終わると(爆)
・・・ああ、海が呼んでいる・・・(ふらふら)
東京湾でも見に行こうかな(笑)

最初からまとまりのない独り言ですね・・・(汗)
書いていくうちに進歩していければいいなあと思ってます。
温かく見守ってくださいm(_ _)m



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