1章「非日常な日常」


人知れず、というのは思う以上に大変なものである。
他の人からは見えないものを、人目につかぬ所で、人に気付かれぬように退治する。
しかも、他の医師たちと同じように勤務しながら、だ。
何せ多くの人間がいる大学病院の中で起きる事。
隠すためには相当気を使わなければならない。
その気苦労だけでも、並木にとっては十分な負担だった。
こちらの状況など構ってくれない病魔を相手にしているのだから尚更だ。
幸いにも(?)病魔が姿を現すのは夜暗いところが多いから、何とか隠し通せているが。
(もっとも、姿を見せない間は誰かに”憑いて”いるのかもしれないが・・・)
医師として3年目になり、正式に外科に入局して、
少しずつ執刀も始め、もちろん当直もこなし、時に緊急手術にも入り、
外病院の外勤当直もするようになり。
更に病魔退治。
・・・疲れる。

今日は当直の日である。
いつ緊急手術が必要な患者が運ばれてくるかわからない。
病棟の患者の具合が急に悪くなる事もある。
やらなければならない事が片付けば、夜は寝られる内に寝てしまう方がいい。
しかし。
 「・・・」
そうもいかなそうな状況にある事に気付き、並木は内心うんざりとした。
業務を終え、病棟を出て当直室に戻ろうとした矢先。
病棟の廊下の片隅、そこの天井にいたのだ。
病魔が。
正直見なかった事にしてしまいたいが、そうもいかない。
見逃せば、この病棟にいる患者達が危険になる。
夜勤の看護師達に気付かれぬようにしながら、並木は静かに病魔に近付いた。
ぐっと握っていた右手をゆっくりと開く。
すると、並木の手の平から光る粉が舞い上がり、辺りを包んだ。
この粉は病魔に付き、一次的に人間に取り憑く事を不能にする。一種の封印だ。
(もちろん、普通の人間にはこの粉も見えない)
初めて片山と病魔の戦いを見た時に、周囲に舞い散っていたのも同じ物である。
これを使う事で、ひとまず病魔から病棟の患者を守れる。
同時に、自分自身が憑かれてしまう事も防ぐ事が出来る。
そして、作戦は次の段階に進む。
並木は服のポケットから小さな袋を取り出した。
病魔を引き付ける、人には感じ取れない「香り」を出す、香袋だ。
調合は企業秘密。最後に術というか、”気”を加えて出来上がり。
向こうは「ちょっと病院の裏まで来い」と言って付いてきてくれるような相手ではないから、
こういう物でひと気のない所まで誘い出さなければならない。
予想通り香に引き寄せられてくる病魔を引き連れて、並木は走り出した。
階段を下に下に、地下まで駆け下りる。
日中ならばここにも勤務する者達がいる場所であるが、今は夜。人はいない。
ざっと気配を窺い、誰もいない事を確認すると、並木は病魔に向き直った。
低い唸り声を上げていた病魔が、牙を剥き出しに並木を狙っている。
取り憑くのを封じられると、病魔はその身の特徴を駆使して様々な手段で襲い掛かってくる。
普通の人間には目視すら出来ない存在の病魔が、
人間に対して物理的な接触が出来るというのも妙な話であるが。理不尽というべきか。
幽霊が人の首を絞めたりするようなものだろうか。理屈では説明がつかない。
病魔と相対する並木は、右手の人差し指と中指を立て、顔の横に掲げた。
その2本の指から青白い光が現れ・・・その光は、約20cm程の刃のような形となった。
術は使い手によって形が変わる。
片山は攻撃術として光の鞭を使うが、並木はこの光の刃が攻撃術だ。
外科だから刃(=メス)なのか。その辺りは定かではない。
第一、術を使えるようになったのは外科に入局する前だ。
(それとも、素養的にも外科向きだったという事なのか)
並木が印を切るように指を斜めに振ると、指先に生じていた光る刃が病魔目掛けて飛んで行った。
が。
しゅん。
 「あ」
かわされた。
飛び退いて刃を避けた病魔は、そのまま向きを変え並木に向かって飛び掛ってきた。
 「うわ」
並木は慌てて身を翻し突進をかわす。
病魔の身体は並木に当たることなく通り過ぎた。
こちらに背を向けている今がチャンス、と再び術を使おうとする並木だったが。
ぼすっ。
突然横から飛んできた何かが腹に食い込んで、そのまま並木の身体を側方の壁に叩きつけた。
 「・・・ごほっ・・・」
攻撃を受けた腹を押さえ壁を支えにしながら、今のは一体何かと並木は目を凝らす。
よく見れば、それは長く伸びた病魔の”尾”だった。
・・・病魔というのは本当に、いろいろな姿があって面倒くさい。
しかも、辺りが暗いからこちらからはよく見えないのが痛い。
尻尾を振っても可愛げも何もない病魔に、並木はげんなりとした。
病魔の方もそれをいい武器と判断したのだろう、再び尾を撓らせて攻撃してきた。
だが、それが届くより先に並木の光の刃が飛び、尾の半分以上を切り落とす。
切られた尾はうねりながら床に落ち、霧のようにさっと消えた。
激昂した病魔がまた空中を蹴るようにして並木に向かってくる。
迫ってくる病魔を正面に見据えながら、並木は術を発動させた。
病魔の牙が、並木を喰い千切る・・・
その直前、病魔が身を引き攣らせた。
光の刃が、今度は的確に病魔を捕らえたのだ。
牙は並木に届く事はなく、病魔の身体は空中でもんどり打つと黒い霧となって辺りに四散した。
退治、完了。
並木は、ふぅと緊張を解いた。
 「ててて・・・」
その途端、先程尾で打たれた場所を両手で抱えながら、ずるずるとその場に座り込む。
気を抜いてみれば、結構痛い。
ああ、今日は当直なのに。負傷している場合ではないのに。
打撲で済んでいなかったら困るな、自分で超音波でも当ててみようかな、などと考えていると。
turururu・・・turururu・・・
白衣のポケットに入れていた当直用のPHSが鳴った。
画面を見れば、下当直の研修医からの電話だ。
何か相談かと出てみれば。
 『ちょっと点滴が入れられない患者さんがいて・・・』
 (・・・)
何とか気合で入れてくれ。今ばっかりは。
そう内心で思いながらも、「わかった」と答え、のそのそと立ち上がる並木であった。


                                  <続く>

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並木君は外科3年目レジデント。人が良くて苦労体質、という設定です。
どうも、私の描く主人公は苦労体質な青年が多い気がするが(滅)
最後に電話してきた研修医はもう私って事で(何)


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