2章「背より腹」


当直でなくとも、夜遅くまで病院に残っている日というのもある。
理由は様々だ。
重症な患者の容態を見る必要がある時。
必要な記録や書類を書かなければならない時。
カンファレンスや学会などで発表する原稿を作っている時。
そしてただ単純に、1日のスケジュールが押してしまった時。
今日も、一通り済ませなければならない事を終えた頃には、すっかり夜も更けていた。
それだけでも溜息をつきたいような気分であるが。
着替えを済ませていざ帰路につこうとしたその時に、
更に溜息を誘うものが目に入った。
・・・何故こういう時に現れるんですか、病魔サン・・・
それは夜遅いからなんだけどね、と自分で自分を納得させながら、
並木は今日も病魔退治をするのである。

病魔を後ろに引き連れながら、並木は病院の建物の外に出た。
今の時間なら、中庭にもそうそう人はいないだろう・・・
そう考えての事だ。
足を止め、病魔の方を振り返る・・・その瞬間。
しゅるり。
 「え?」
何か細長い物が腕に巻きついた。
さらに胴や足にも。
辺りが暗いため並木にはよく見えていなかったが、この病魔は植物のような形をしている。
巻きついているのはその「蔓」である。
解こうともがいている間に、その蔓がぐいと引かれ、足が地面から離れた。
 (引っ張り上げられてるー!)
ヤバい。普通の人に見られたら只今俺空中浮遊中。(蔓も病魔も見えないから)
些か危機感のズレた事を考えている間も、蔓の動きは止まらない。
蔓が引き寄せる先には、空中に静止している病魔本体がいる。
無意識に腕でガードしたせいか、首に直接蔓は巻きつかず窒息する事は免れている。
が、おかげで腕が縛られているためろくに動かせない。
手首は辛うじて動かせそうなので、術の刃を飛ばす事は出来るかもしれない。
だが狙い通りの方に飛ばせるかはわからない。
今下手に蔓を切ってしまったら・・・
ちらりと見下ろした地面は、意外と遠い。距離的に安全な着地は厳しいかもしれない。
空中でバランスを崩せば、アスファルトに身体を打ち付けられる羽目になる。
建物からやや離れた、中庭のアスファルト。周りにあるのは樹。
こんな所で落下事故なんて怪しすぎる。
救急外来にでも運ばれたら、原因を問い詰められるに違いない。
一体どう言い訳したらいいのか。木登りしていたとでも言えばいいのか。誤魔化しになってない。
まして、打ち所が悪くて死んだりしたら、『病院敷地内で医師が謎の死』なんて
ワイドショーとかで報道されちゃうかもしれない!!
 (絶対そんなの嫌だー!)
余裕があるのかないのか、想像力豊かにズレた思考を展開していると、
既に眼前に病魔本体が迫っていた。
 (超どアップ!!)
絶体絶命!
さーっと血の気が引いた並木の、病魔のアップで一杯になっていた視界。
その隅に、何やら光る物が走った。
病魔の蔓で弾かれたようだったが、それは青く光る紐。・・・鞭?
見覚えがある。あれは。
 「片山先生・・・?」
その推測が正しいかどうか確かめようと視線を廻らすが、
自由の効かない今の並木では、病魔本体が邪魔をしてその姿を捉える事が出来ない。
一方、並木を蔓に抱えたままの病魔は、光の紐から逃れようと空中をさっと移動した。
気が逸れたせいか、並木に巻きついた蔓の力が僅かに緩む。
 「!」
これならば、先程までより手が動かせそうだ。
並木は自分の足の下に視線を送る。
先程までとは位置が移動している。下にあるのは・・・
・・・仕方がない。背に腹はかえられない!
決意を固め、並木は右手に生じさせた光の刃を飛ばした。
刃は並木を拘束していた蔓を切り離し、空中での支えを失った並木の身体はそのまま落下した。

ばしゃーーーん!

大きな水音を立てながら、並木は下にあったプールへ落ちた。
 「あ」
その事態に驚いたような声を上げたのは、光の紐を振るった人物。
並木の推測通り、片山である。
いきなりの並木の自爆めいたプールダイブにさしもの片山も一瞬動揺したが、
すぐに冷静さを取り戻し、武器を振るい病魔を鞭の紐で捕らえた。
鞭の柄をぐっと引くと紐が病魔を締め上げ、めきめきと変形していく病魔の身体は限界を超えた所で四散した。
退治が終了したのと、プールからのそのそと並木が這い上がってきたのがほぼ同時であった。
 「並木くん・・・大丈夫?怪我は?」
プールサイドを囲む柵の向こう側から、片山が声を掛けてくる。
 「怪我は、ないと思いますが・・・」
硬い地面に落ちるよりは、プールは安全な場所だった。
だからプールの上に来ている事に気付いた時、そこで蔓を切った。
しかし、そのプールは・・・
浄化装置が壊れているとかで、緑色をした水が溜まっているプールだ。
病院に併設している大学の水泳部もほとんど使用しない。
そこに、服のまま飛び込んでしまった。しかも自宅への岐路に必要な私服で。
どちらかというと精神的ダメージが大きいです先生。
 「・・・とりあえず、シャワー浴びた方がいいと思う」
片山の、やけに冷静な意見。
それに「ソウデスネ」と答えながら、並木は精神的疲労が更に増したのを感じたのだった。


                                  <続く>

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どうも話が上手く流れなくてお蔵入りしかけたけど結局書いた。
最初は片山先生がやむを得ずプールに落っことすんでしたが、
頭の中でどうシミュレートしても上手く行かないので、並木君に自爆してもらう方向で。
要はあのプールに落っことしたかっただけです(何)


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